ひとつの出来事を大切にしたい
4月15日のことです。
痰がひどく息苦しさもあり、それを感じにくくするためにモルヒネを使用します、と先生から電話がありました。
使用量は、少量ではあるようなのですが、ボーッとしたり眠くなるため、このまま眠ってしまう可能性も0ではないということでした。
そのため、使用する前に面会を許可をしてくださり、母が向かいました。
私は、在宅ワークではあるものの転職した会社の出社初日だったこともあり、母だけが向かったのですが、気が気じゃなくずっと父のことばかり考えていました。
父と過ごす時間を増やしたくて仕事を辞めて実家に戻ってきたのに、こんな大事な時に一緒にいてあげなくていいのかな...とか、このまま眠ってしまったらどうしよう...とか、いろんなことを考えてものすごく不安になってしまいました。
コロナ禍で面会はできない状態なので、父に会うチャンスを逃してしまったということも後悔し、自分を少し責めていました。
その後、母から連絡があり、
少しよくなったこと、土曜日に面会ができることを聞き、ものすごくほっとしました。
今回のことであらためて、ひとつひとつの出来事を大切にしていかなければいけないんだと実感しました。
限られた時間を大事にしていきたいです。
入院
昨日の朝、6:30頃のことでした。
私が起きて茶の間に向かうと、母と父の少し焦ったような声がしていて、
父の体調がおもわしくなく、病院へいきたいと父が言ったようです。
呼吸が苦しいのと、胸の痛みがするとのこと。
確かにここ最近、呼吸が荒いような感じがしていました。
トイレに行って戻ってくるだけで、今まで以上に呼吸が乱れていたり、
夜も、動悸で眠れずにいつもより2〜3時間ほど早く起きてきていたのです。
父のかかりつけの病院は、自宅より車で1時間半ほどかかる大きな病院です。
初めてがんを患った時から、ここの病院でずっと診てもらっていました。
開院時間を待つこともつらく、救急車をよび1時間半ほどかけ母とともに、病院へ向かいました。
まずはPCR検査し、その結果を待って、CTなどのさまざなな検査が行われました。
入院の可能性が高いので、私は自宅で待機。
必要なものを準備して後から追うことになっており、母からの連絡を受けて、母の妹と一緒に病院へいきました。
午後3時頃に病院へついて検査の結果を聞きます。
肺がんが進行しており、転移していた肝臓部分も悪化。
あわせて肺炎にもかかっていました。
今は、家族でも病棟に入ることができません。
父の様子を見たり、元気づけることもできず、お互い不安で寂しい状況が続きます。
早く自宅に戻ってこれるように祈るばかりです。
父と過ごす時間
2021年2月7日
実家に帰っていた私は、父から自分の余命を告げられました。
父は翌日2月8日に、68歳の誕生日を迎えます。
その誕生日を祝うために帰省していた2月7日のことでした。
父は、60歳の定年直前に肺がんを患いました。
まだ初期で小さかったため、手術をして摘出し、その後抗がん剤治療をはじめます。
私は、両親のもとを離れ一人暮らしをしていたため、
その後どういった治療をしていたのか詳しく聞いていませんでした。
ただ、何年も抗がん剤の治療を続けていたのです。
腫瘍マーカーの数値が高いのだそう。
数値が高いけれど、どこにがんがあるのかわからない、そんな状態のようでした。
何回も、そして多くの抗がん剤を使用しましたが、よくならずにずっとがんと闘っていました。
そんななか、間質性肺炎にかかってしまいます。
この間質性肺炎の治療のため、いったん抗がん剤の治療を中断します。
治療を中断してから1年ほど過ぎた頃から、抗がん剤治療を並行して進めていくようになりました。
きっとがんが大きくなってきたんだと思います。
ここから父は急に体調が悪化していきました。
肺炎を患っている体に抗がん剤の副作用で、とても体に負担がかかっていたんだと思います。
間質性肺炎と抗がん剤治療をして約半年ほど経過した2021年2月、主治医からもう試せる抗がん剤がないことを告げられ、父は自分があとどのくらい生きられるのかと聞いたのだそうです。
先生の答えは、今年いっぱい生きられるかどうか。
父といられる時間はあと少し。
なにかできることはないかと思い、思い出を残すことと、闘病している方やご家族の方といろいろな気持ちを分かち合えたらと思い、ブログを書くことに決めました。
少しずつ更新していきたいと思います。
よろしくお願いします。